進化論vs創造論

1.進化論と創造論について。

進化論も創造論も現段階では一論説に過ぎません。

つまり、どちらも証明されているわけではないんです。

もし、進化論が正しいことが証明されたならば、「進化論」ではなく「進化の法則」などと呼ばれることになるでしょう。でも、現在そんな風には呼ばれていません。

学校では、あたかも進化論が事実であるかのように扱われています。が、事実であるという証拠はなく、現段階では仮説に過ぎません。

 

同様に、創造論が正しいことが証明されたのならば、創造「論」とは呼ばれないでしょう。

創造の真実とか真理とかと呼ばれるかもしれませんね。でも、現在そんな風には呼ばれていません。協会では、あたかも創造論が事実であるかのように扱われています。が、事実であるという証拠はなく、現段階では仮説に過ぎません。

 

 

現時点で、どちらが正しいのかは結論が出ていません。つまり、現段階ではどちらも証明がされていないわけですから、どちらが正しいかというのはその人の価値観と判断によるしかないのです。

 

だから、

 

別に、進化論が正しい、と言い切るのは個人の自由です。

別に、創造論が正しい、と言い切るのは個人の自由です。

 

しかし、進化論が正しい、と他人に強制するのは自由ではありません。

同様に、創造論が正しい、と他人に強制するのは自由ではありません。

 

進化論も創造論もどちらも証明されていません。

 

だから、進化論は宗教です。

同様に、創造論は宗教です。

 

 

 

ところで、ここで唐突ですが、日本語の説明に入りたいと思います。

「1」「3」「5」「7」…などの数の事を「奇数」といいます。

「2」「4」「6」「8」…などの数の事を「偶数」といいます。

 

 

さて、ここで問題です。

 

今ここに、「ある数」があるとします。この数が、もし、

「偶数でないということが言えているならば、奇数である」

と言えるでしょうか?Yes か No で答えよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




















































 








もちろん、答えはNOですよね。

 

もし、YESと答えた人は次のように言うでしょう。

「2つの事柄は同時に存在しない。だから、一方がありえないのだから、残されたもう一方が正しいはずである。」

 

…と。だから、「偶数じゃないんだから奇数に決まっているじゃないか!!」と。

 

 

 

はて??なんで「決まっている」のでしょうか?そんなの決まってませんよね。

1/2(2分の1)等という数だって他にもいっぱいがあるじゃないですか。

√2だって、円周率Πだって、ネピア数eだってあります。

はて、
誰が「整数だけで考えろ」と言ったのですか?
そんなこと「一言も言ってない」です。

 

自然数の集合の中で考えたとき「だけ」上の事実が成立するのであって、それ以上の広い集合では成立しないのは明らかですね。

 

こういう思考の落とし穴にはまっている人が結構います。

 

 

 

 

では、間違えてしまった人のために、名誉挽回として、おまけでもう一問。

(大ヒント)同じ発想レベルの問題です。

 

ある学校に、二人の男の子が入学してきた。顔つきがそっくりで生年月日も、両親の名も同じだった。ところが、「きみたちは双子だね」と尋ねると、意外にも、答えは「いいえ」だった。この二人の関係は?
(制限時間30秒)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答え    三つ子(またはそれ以上)

 

 

 

・・・双子までしか存在しないなんてだれが決めたんですか?

もし出来なかった人はそうとう頭の固い証拠です。

 

上の2題のうち、1題でも出来なかった人はもちろん、そうでない人も、
人間なら誰でも、

「自分の考え方が万全ではなく、気づかないところで穴がある」

ということを、ここでしっかりと認識するべきです。

 

人間の認識など完璧ではないのです。

穴があるのに気づかないため、完璧だと思い込んでいるだけなのです。

 

 

さて、もう一問 問題です。これも上の2題と同じ発想レベルの問題です。

 





現在、進化論では、

猿から人間の遺伝子への移行段階において、どうしても繋がらない空白の間があります。中間となる猿科の化石が発見されていません。これは事実です。

「したがって、進化論は間違えであり、創造論が正しい。」

この考えのどこがおかしいか?少なくとも2つ挙げよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

上の2題を読んできた人ならば、難なくわかる問題ですが、

一問目とまったく同じように、出来ない人は以下のように考えます。

 

「2つの事柄は同時に存在しない。だから、一方がありえないのだから、残されたもう一方が正しいはずである。」

 


…と。だから、「進化論じゃないんだから創造論に決まっているじゃないか!!」と。

 

 

 



なんで「決まっている」のでしょうか?そんなの決まってませんよね。(コピペw)

宇宙人説等とか隕石に乗ってきたとか、それに、まだ気づかれていないで発表されていない説とか他にもいっぱいがあるじゃないですか。
突然変異説だってダーウィンが新しい新説を出したときのように、まだ発表されていない説、これから発表されるかもしれない説などたくさんあります。
はて、誰が「進化論と創造論の2つだけに絞って、これだけで考えろ」と言ったのですか?そんなこと「一言も言ってない」です。


はじめに神が人間を作ったのか、徐々に進化して人間が生まれたのか。
どちらか一方という考えがおかしいです。たとえば、はじめに人間は生まれず、徐々に生命も生まれない。突然、神によって単純な生命が作られ、それらの結果としてずっとあとに人間が生まれるという説もありうるはずです。

 

 

 

(どうでもいいことですが、もう一個くらい考えられる上の文章のおかしなところは、まだ中間層の化石が発見されていないだけで、もしかしたら中間層の化石が発見されるかもしれない。などが挙げられます。)

 

 

 

 

進化論で一番痛いところは、中間層の個体が未だに発見されていないことです。このため、ダーウィンの進化論が最近怪しくなってきていると言われています。

 

はじめにも書きましたが、ダーウィンの進化論はあくまで「仮説」であり、証明されたわけではありません。

 

そんなダーウィンの進化論ですが、ここにすべてを書き記すことは出来ませんが、主に、要約してみると以下のようなものです。

 

 

「キリンの首が長いのは環境に適応したためである。」

キリンの首が長いのは、元々きりんの首が長かったわけではなく、

はじめは馬のような動物だった。

しかし、環境の変化により、キリンの大好物である木の葉っぱが不足してしまった。

馬ほどの首の長さしか持ち合わせていないキリンは低い位置にある木の葉っぱしか食べることが出来ない。首が短いからである。

 

一方、首が少しでも長いキリンは高い位置にある葉っぱを食べることが出来たため、首の短いキリンと比べて飢えをしのぐことが出来た。

 

こうして、首の長いキリンが生き残り、その首の長いキリン同士が交配して、子孫を残すわけであるから、だんだんとキリンの首が長くなっていき、現在のキリンのようになった。

 

しかし、何度も言うように、中間層のキリンがいた証拠(たとえば化石など)は発見されていません

 

人間についても同様です。サルと人間の中間が発見されていません。

 

したがって、進化論は間違えであり、創造論が正しい。

 

いやいや。←しつこい

 

 

 

 

創造論についても、進化論と同様、証明がされたわけではありません。

「まずはじめに神が人間を創った」とありますが、これが本当なのかどうかを信じるのはその人の価値観によります。

 

 

 

 

いきなり人間を作れるでしょうか。

 

神様ならば何でも可能なので創れるというかもしれません。

 

しかし、犬や猫も神様が作ったものであり、人間だけが神が特別に作ったものだというならば、体内にある心臓や胃など、そしてオスとメスがいることは唯の偶然でしょうか?

生物が生きていくのに哺乳類として必要な体の構造や生殖機能まで、同じように作られているのは偶然でしょうか??


盲腸が人間にとって進化の過程で必要なくなった器官であるというのは嘘なのでしょうか。

 

人間が特別に作られたと考えるよりも、サルやチンパンジーや犬などと同じように、地球上で何らかの形で進化したと考えるほうがはるかに自然だと思います。



私は、神が「人間を神が突然にして、ある時ポンと創った」と考えるよりも、犬や猫と同様、ダーウィンの進化論が正しいかどうかは別として、なんらかの形で地球上で進化したと考えるほうがまだ自然な気がします。

 

 

昔、まだ地球上の事柄についてあまりよく知られていない時代がありました。


その当時は、我々の住んでいる陸は平坦なもので、地球が丸いなんて考えられてもいませんでした。
当然のことでしょう。現在、私達が立っている場所が平らなのですから、そう考えるのも無理はありません。いや、そう考えるほうがはるかに自然です。

 

平らな陸はどこまでもつづく。そして海の向こうは滝になっていて、その滝に落ちると地獄に落ちてしまう、と。

 

これはまだ地球が丸いと知られていないときの話です。

 

地球が丸いとわかっていないのですから、人々は直感に従って「予想」するしかなかったのです。

 

星についてもそうです。
現在は星が恒星であることがわかっていますが、こんなことも昔の人はわかるはずもありません。
だれが夜空に光る星を見て、それが想像を絶するほど巨大なものでそれが燃えているものだなんて思うでしょうか。
そう考えるよりも、死んだ人がお星様になる、と考えたほうがずっと自然です。

 

なにもしらない子供ならきっとそう思うでしょう。われわれが「死んだ人が星になる」と聞いてばかばかしいと思うのは、星は恒星で燃えている、という事実をしっているからです。その事実をしらなければ、燃えていることのほうがばかばかしいと思います。

 

地動説についても同様です。
なにも知らないニュージーランドのほうの離れた島国で住んでいるような原住民に、
「地球は丸くて、太陽の周りを周っている」などと言うものなら、おったまげるでしょう。「地球が太陽の周りなんて周っているわけがない」と。
現に、地球は止まっているではないか!!!と。そして、太陽が動いているではないかと反論するはずです。

 

原子の存在についてもそうです。
昔は原子の存在すら知られていませんでした。

だから、すべてのものは土と水と火と空気から出来ていると思われていました。

これも当然でしょう。電子顕微鏡どころか、顕微鏡すら存在しない時代に、原子から物質ができていると考えることのほうが難しいです。土から出来ていると考えたほうがよっぽど自然です。

たとえば、家は木から出来ているし、木は土から出てくる。だから家は土から出来ている。

そんな感じで、すべての物質は土から出来ている。と考えていました。

土に水をやると木が育ち、その木で建物を作るのだから、すべてのものは土と水からできている。

手に息を吹きかけると風を感じるので空気が存在する。

物を燃やすと何もない所から火がでる。

だから、世の中のすべてのものは土と火と水と空気で出来ているのだと。

 

現在の科学でこの説明を見るとばかばかしく思えますが、決して馬鹿にしてはなりません。当時のことだからしょうがないのです。

 

 

 

 

 

地震についてもそうです。
現在はプレートの存在が明らかになっています。しかし、昔はそんなものは知られていませんでした。だから、大地の神が怒ったと思われていたのです。

 

雨もそうでした。天の神様が泣くのだと。
しかし、現在では、気圧の変化により、雲が出来てそれが雨になることが証明されています。しかし、昔の人は気流なんてものは知りません。だから、神様が雨を降らせてくれたんだと思い込んでいます。
それしか知識がないのだから、そう思うしか仕方がないのです。

 

昔から、雨を降らせる儀式で、火をたくものがあります。
火をたくさん炊いて、天の神様にお祈りすることにより、雨が降るのです。
昔の人々は無知ですから、雨が降ったのは神様のおかげだと思い込んでいます。火を焚いてお祈りをしたから、神様が雨をふらせてくれたのだと。しかし、この考えは間違えです。火をたくとそこから上昇気流が生まれ、その結果、そこに気流が生まれ、その結果、そこに雲が集まりやすくなり、その結果、雨が降っているだけに過ぎません。

雨を降らせたのは人間が火をたいて人工的に降らせたに過ぎないのに、当時の人は、火を焚いて神様にお祈りをしたから、神様が雨を降らせてくれたのだと、信じ込んでいます。

 

 

雷もなんでもそうです。

 

 

 

このように、昔の人は無知なため、神様のおかげとか、そのように思いこんでいます。

 

キリスト教などの宗教もそれと同じなのではないでしょうか??

 

キリスト教が生まれた時代、現代のように科学が発達していませんでした。

その当時は、雲が雨を降らせるなんて思ってもいません。
純粋に空から大量の水が降ってくれば、当時の人間は天に川があると思い込むでしょう。
だから、天に川があると思い込んでいたのです。もちろん、決して天に川があったのではないと思います。

 

 

ノアの箱舟にあらゆる動物のオスとメスを一対ずつ乗せたというのも、おとぎばなしの域を出ません。大体、熱帯に住む動物と寒冷域に住む動物が一緒に乗れるわけありませんし、それが種の保存のために、オスとメスが必要であったのならば、魚のオスとメスはどうしたのでしょうか。海水の中では川の魚は生きられません。ミジンコのような環境の急激な変化が起こらないとオスが生まれない生物もいます。神様だったらそれくらいなんとかできたのだったらば、ノアの箱舟ではなく別の方法があったはずです。

それがなぜ、ノアの箱舟なのでしょうか。それは、
人間のつくったおとぎ話だからです。洪水があり、箱舟に乗ったという話は、いかにも人間が作った話です(根拠はありませんが。可能性として、そう考えるほうが箱舟を信じるよりも、はるかに自然ではないでしょうか?箱舟の話は、現実離れし過ぎている。)

 

1000年後や100年後などきりのよい数字も人間の作った話だからでしょう。957年後とか、295年後とか言うなら判りますが、キリバンです。人が作った話だからです。はやり、おとぎばなしの域を出ません。

 

 

すべての物質が土から出来ていると思われていたというのはもっともらしく聞こえますが、間違えています。考え方が古いのです。同様に、

現代の科学から見ると、

キリスト教は古いのです。現代になってもまだ、古い仮説をいまだに信じているとしか思えないのです。

なぜそれを信じるのかというと、情報が少ないからです。聖書以外の情報を入れようとしない人もいるくらいです。

 

「すべての物質は土から出来ている」と現代でも信じている人がいます。

オーストラリアやニュージーランドの離れた島に住む原住民などです。

彼らは原子の存在などを学校で学ぶわけではないのです。だから、すべての物質は土で出来ている。と信じ込んでいたとしても全然不思議じゃないでしょう。

原子の存在を知らなければ、当然でしょう。
情報が不足していると、自分の知っている知識に偏りが生じるわけです。

 

キリスト教徒も同じことです。聖書しか読まないため、絶対的に情報が不足しているのです。これを洗脳といいます

 

 

 

信じると天国に行けるといっておけば、人は自分が地獄に行くことを恐れ、それを信じようとします。ちょっとした心理トリックです。

 

 

 

神は存在すると思います。だけど、イエスキリストと神は全然関係ないと思います。

イエスキリストは神の子ではなく、人間の子であったと思います。

ただし、ものすごく頭がよかったと思います。

現代に生まれていれば大学教授なんて楽になれるほどの明晰な頭脳の持ち主だったことでしょう。でも、神の子ではなく、ただの人間の優秀な子だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

洗脳はたやすいことです。洗脳の原則は、情報操作です。洗脳しようとする相手に対して、都合の悪い情報は一切与えないようにします。これが洗脳のテクニックです。

たとえば、聖書以外一切読まないようにさせるのも洗脳です。

そして、聖書を信じさせるにおいて、都合の悪いものは「悪魔の仕業だからかかわらないようにせよ」と言っておきます。これで先手を打っておくわけです。

 

このようにして、外の世界の情報を一切遮断させることで、人は洗脳されます。

他に情報がないため、それを信じるしかなく、また、他に情報がないため、疑いようがないのです。

 

しかし、洗脳者は心のすみっこのほうで、「もしかしたら間違えているかもしれない」と思っているはずです。しかし、それを意識しないようにするのがまた洗脳の怖いところです。洗脳されている人間というのは、「これが本当に正しいのかなあ」と一瞬思います。しかし、一瞬だけで、すぐに、「いや、間違えているはずがない。あれだけ正しいと今まで情報を聴いたり読んできたりしているじゃないか」と思い、一瞬にして自分を納得させます。

これが情報操作の怖いところです。

 

 

さらに、地獄に落ちるのが怖いですから、必死に信じようとするのです。
ここで信じるのを止めたら、今までの苦労が全部水の泡だからです。だから、必死で信じようとします。心のどこかで、疑問をいだきながらも・・・。

 

しかし、早く気づくべきです。天国とか地獄はありますが、貴方の思っているような天国や地獄は存在しません。だから気づいたほうが良いです。今日をその日にしましょう。

 

たしかに、今日信じるのを止めてしまえば、今までの苦労が全部無駄になります。しかし、今信じるのを止めなければこのままずっと死ぬまで、洗脳されたままなのです。天国にいけると思っていたのが天国なんてないのですよ。

 

これは本当に怖いことです。でも勇気を出してください。

 

 

ただ、天国とか地獄というものは存在します。しかし、キリスト教の言う天国や地獄ではないと思います。

キリストは唯の人間なのですから、キリストを信じたところで地獄に行く人は行きますし、信じていない人でも天国に行く人は天国に行きます。

 

 

 

 

 

次のような話をききます。

あのような複雑なDNA構造は偶然に出来上がるわけが無い。

丁度、
たつまきの中に、鉄くずが巻き込まれ、偶然、飛行機が出来るようなものだ。

 

といわれます。しかし、DNAのそれと比べるのはおかしいです。

 

冷蔵庫に水を入れると氷になります。あれだけの規則正しい分子の配列になるのは奇跡でしょうか?いえ、奇跡でもなんでもありません。

自然の法則です。

DNAの配列もこれと同じことです。

 

DNAの配列があのようになったのも、自然の法則です。

 

あのように並ぶように、宇宙の法則が出来ていたというだけの話だと思います。

((もちろん、その自然の法則を作ったのは神様ですから、神様は本当に偉大です。

しかし、キリストは神の子ではなく、人間の子です。
神は存在しますが、神とキリストはまったく関係がありません。))

 

話を戻しますが、
だから、たつまきの中に鉄くずをいれると飛行機が出来上がるのとは違います。
比喩にもなっていません。

 

DNAの配列があのようになるのが奇跡だというのならば、なぜ水の分子が固体になるとき、あのように規則正しく配列することは奇跡と言わないのでしょうか?

 

水の分子があのように並ぶのは奇跡でもなんでもなく、当たり前のことで、

DNAの配列があのように並ぶのは奇跡である、なんていうのはおかしいと思います。

 

 

 

 

 

キリスト教を信じたために何百万人の人が死んだ。

これは確かにすごいことです。しかし、だからキリスト教が正しいという理由にはなりません。

今までにこれだけの人数が死んだことはないかもしれません。しかし、だからキリストがただしいという理由にはなりません。

 

たしかにすごいことですが、キリスト教が正しいということとは別の話です。

 

多くの人が信じたことだから自分も信じるのですか??多くの人がだまされているだけかもしれません。

 

数百万人の人がだまされるわけない?

 

いいえ。人数なんて関係ありません。たとえ一人しか信じている事がなくてもそれがただしいことだってありますし、たとえ、地球上のその一人以外が信じていても間違えている事だってあります。天動説が良い例です。当時信じていたのはコペルニクス一人だけでした。一人だけしか信じていないと、間違えているのでしょうか。

 

キリストはかなり頭が良い人間の子だったと思います。多くの人をだますことは可能だったでしょう。

 

キリストはすぐれた催眠術師であったと思います。頭が良かったため、自身で原理を見出したのでしょう。

催眠術を使うと人に幻覚を見せることが出来ます。

 

ひときれのパンでおなか一杯にさせることなど、たやすいことです

 

目の見えない人が目を見えるようにさせることなど、たやすいことです

 

 

 

キリストはがんばりました。よくあそこまで完璧に人を騙すおとぎばなしを作りました。

しかし、もう時代が違うのです。
土が万物だと信じられていた時代の話です。
たしかに、土が万物だと信じられていた時代に、聖書は完璧だったと思います。すべてのひとをだませる力を十分持っていました。
しかし、もう時代は違うのです。キリスト教は時代遅れのおとぎばなしです。

 

現代科学が矛盾点をいくつも指摘しています。

もちろん、進化論も完璧ではありません。矛盾があります。
しかし、だからといって創造論が正しいという理由にはならないことは既にお話しました。
創造論も進化論もどちらも間違えている可能性もあります。
もちろん、今後、進化論が正しいという結論になる可能性も、あります。
もちろん、今後、創造論が正しいという結論になる可能性も、あります。

 

しかし、現代科学が聖書の矛盾点をいくつも指摘しているのも事実です。

それでもまだがんばってその矛盾点を埋めようと努力しているようですが、無理があると思いませんか。聖書の解釈を変えようとがんばるのは止めましょう。すなおに無理があるとみとめてしまったほうが楽です。

聖書が真実ならば、なぜ、矛盾点の穴埋めをするかのように、解釈を時代によって変えていくのでしょうか?はじめから正しいのならば、その必要はないはずです。

時代によって解釈を変えていくというのは、科学を受け入れているということにもなります。もちろん、それは間違えていることではありません。しかし、無理をしています。すなおに無理していると認めるべきです。

 

ノストラダムスの大予言みたいです。解釈の仕方によっては、いかようにもとれる!!

 

真実でないから無理が生じるのです。

聖書は人間のつくったおとぎばなしです。ただ、すごく頭の良い人間がつくったので、

当時は完璧な真実でした。

でも、最近めっきがはがれてきています

もういいかげんあきらめてはどうでしょうか。

 

 

ところで、

私は神の存在を信じています。キリスト教で言う神とは意味が異なりますが、神は存在します。

 

今、人間が存在するのは、神様のおかげです。神さまが人間を創ったからです。

 

人間がいるのは創造主がいたからに決まっています。そんなの当たり前です。そこには神の意思があったと思います。

 

でなければ、誰の意思も無しに、人間が出来上がるわけがありません。そこには神の意思があり、神が人間を創ったのだと思っています。

 

しかし、人間があるとき突然ポンと出現したとは思えません。

 

進化論の意味での、進化の過程を神様が作ったのではないでしょうか。人間を猿から進化させるように仕向けたのは、神様ではないでしょうか…。

 

でも、人間を誕生させる前に、地球がないといけません。

今、地球があるのは、神様のおかげです。神様が地球を創ったからです。

 

でも、地球を誕生させる前に、宇宙がないといけません。

今、宇宙があるのは、神様のおかげ………かどうか、わかりません。

まずはじめにつくったのは天と地ではなく、宇宙なのです。

 

私は 宇宙=神 だという価値観の持ち主です。

 

では宇宙は誰が作ったのか?作り主がいなければ宇宙は存在しません。

 

まあ、そういう意味でしたら、宇宙を作ったのが神様としても、差し支えないでしょう。

 

だから、宇宙を作ったのは神様である、としても別に良いと思います。

 

え、はじめに言っていることと違うって?

 

いや、同じです。以下の説明のとおりです。

 

宇宙の法則を作ったのは神である。(つづき)・・・・・・・しかし、その神様の能力にも限界があった。万能ではなかった。現在の宇宙の法則を作ったのが神様。そして、神様はこの宇宙の法則に反するものは創れなかった。神の力は宇宙の法則と同等のものであり、この考えの下で、私は 神=宇宙 であると言っているだけです。

 

だから、別に神が宇宙をつくったと言おうが、そうでなかろうが、そんなことは議論したところで、枝葉末節的なことであり、本質的ではありません。
どうでもよいことだとおもいます。