超能力とは一体何なのだろうか?



超能力は間違いなく存在する!!

「超能力」を信じている人は、少ない。実際、ばかばかしい、という批判は後を絶たない。

確かに、頭のおかしな人が超能力を信じている割合が高い。また、超能力者と称する人たちの話を聞いていても、胡散臭いし、この人たちの中には詐欺師や手品師なども含まれるわけであるから、誤解されるのも無理はないかもしれない。

しかし、超能力は間違いなく実在する、と断言できる。誤解を省みずに言ってしまえば、
すべての人間、誰でもみんな、超能力者なのである。


証拠を挙げよう!

鮭は産卵の時期になると、自分の生まれた川に戻ってくる。これは、超能力である。

なまずは地震を予知する。これも、超能力である。

犬には帰巣本能がある。何千キロも離れた場所に車で犬を置いてきても、ちゃんと戻ってくるし、逆に、犬を置き去りにして、何千キロも離れた所に引っ越しても、犬はその引っ越した場所にやってきた、という話もある。これも、超能力である。

なまずに限らず、地震の前に、多くの動物は非難行動をとる。これも、超能力である。


このように、「超能力」とは、特別なものではない。動物なら超能力をもっているのだ。

もちろん、人間も例外ではない。これらの超・能力を発揮することがある。火事場のばか力、というのもそれである。超能力だ。石につまずいて転びそうになったときはスローモーションのように見える。これも頭の回転が速くなり、危機的状況に応じて情報処理速度が上がった為だ。身を守るための本能といえる。

ただ、人間は進化の過程において、大脳ばかりを発達させてきた。そのため、人間が本来持っている能力が退化してしまった。しかし、退化しただけであって、完全に消えてなくなったわけではない。危機的な状況などの条件が重なると、本来持っていた能力を発揮することがある。

一般に超能力と言われているものは、もともと、人間が持っていた能力だ。それが、大脳の進化と共に退化してしまったのだ、という専門家もいるくらいだ。だから、だれでもそのような素質は持っているのである。

たとえば、「第六感」というのがそうだ。「なんとなく」分かるときがある。大脳を動かして、理屈で考えると何でなのかよく分からないが、直感的に、なんとなく、「そんな気がする」という時があると思う。これは、人間がもともと持っていた古い部分の脳を使って感じ取っているためだ。「なんとなく人が来そうな気がする」とか、「人が自分のうわさをしている気がする」とか、「今日誰かと会いそうな気がする」といったぐあいに。そして、そのような感覚を大脳新皮質で判断して、ばかばかしい、気のせいだ、と思っていると、案外、正しかったりする。なぜなのか分からないが、自分の身に危険が迫っているときは、なんとなく、なぜだかは分からないが、危険な感じがする。

この、人が自分の所に来るような気がする、とか、誰かに会う気がする、などの能力が優れた人がいる。たとえば、テニスのトレーニングを積めば積むほど、テニスが上手くなる。同様に、「第六感」をトレーニングをすることによって、第六感が鋭くなる。これが、超能力者である。本人が意識してトレーニングしたかしないかは関係なしに、とにかく、超能力とは、普通の人の能力の延長上にあるのである。

トレーニングによって、または、生まれつき素質がある人は、将棋が上手いなら、将棋のプロになるし、テニスが上手いなら、テニスプレーヤーになる。第六感が優れていれば、超能力者になる。人が自分の所に来るような気がする、とか、誰かに会う気がする、などの能力が優れた人は、時間なども分かるようだ。もっと優れた人になると、誰が自分の所に来るのかもわかる。これがいわゆる「千里眼」であったり、「テレパシー」であったり、「透視」であったりする。だから、「透視」などといっても、決して透明に透けて見えているわけではない。このように考えるから、超能力が誤解されるのである。我々の、普通の感覚の延長上にあると考えなければならない。

人間が進化する前の段階、つまり、大脳新皮質が進化する以前にはこの、「超能力」を人間は使っていた。敵が攻めてくる前に、危険を察知して逃げないと殺されてしまうわけだから、「超能力」で察知しなければならない。現代の人間は、大脳新皮質を使って、「…だから危ない」と、理屈で考える。

このように、「透視」や「千里眼」「テレパシー」などの超能力は、人によって個人差があるものの、人間誰もが持っている能力である。

戦争にいった愛する夫が戦死したのを、なぜなのかは分からないけど、わかったりする。「虫の知らせ」というやつだ。

また、「夢枕に立つ」というものがある。たとえば、自分の祖父の幽霊が枕元に立つのだ。これも、第六感的な感覚を使って見ているわけだ。

「虫の知らせ」についても、同様に、感覚の鋭い人と鈍い人がいて、感覚の鈍い人なら、なんとなく、夫が戦死したような感じがする。妙に暗い気分になるのだが、何でかは分からない。感覚の鋭い人になるにつれて、その感覚はハッキリと認識できる。この、「感覚の鋭い人」というのを、「霊感の強い人」という。

「霊感の強い人」は、幽霊を見るが、その人の「思念」を脳で感じ取った結果を、視覚で見ることができたのが幽霊だ。

たとえば、部屋に機嫌の悪い人がいたとする。すると、たとえ、その人がなにも言葉を発しなくても、その人の機嫌が悪いのを我々は察知する。つまり、その人の「思念」を察知しているのだ。思念を感じ取っても、感覚の鈍い人なら視覚化はできない。つまり、幽霊は見れない。なんとなくそのように感じるだけである。 「幽霊を見た」とは、人間の精神感応によって得られた結果なのである。

では、どのようにして、機嫌の悪い人の思念を察知しているのだろうか?それは、我々の脳が察知している。もっと詳しく言うと、脳の中でも古い部分の脳が察知している。古い部分の脳は無意識的な要素が強く、この部分で、心理学者ユングの言う「集合的無意識」という部分を感知していると考えられます。この、「集合的無意識」とは、すなわち、「あの世」のことだと思ってよいでしょう。つまり、「あの世」の情報を感じ取っているのです。これが「超能力」です。

超能力とは、あの世の情報を読み取る能力のことです。

また、「この世」は「あの世」の部分集合である。つまり、「この世」というのは、「あの世」のほんの一部分にすぎない。

超能力と言うのは、あの世の情報を読み取ることの出来る能力のことである。普通の人に見られる、「直感」というものが鋭くなったものが超能力である。普通の人に見られる「第六感」がレベルアップしたものが超能力だと考えてよい。


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